近津神社 ちかつじんじゃ

鎮座地 栃木県芳賀郡茂木町大字坂井104

祭神名及び御神徳
【主祭神】天児屋根命(あめのこやねのみこと)
      学業成就
     経津主命(ふつぬしのみこと)  
      武運長久
     武甕槌命(たけみかづちのみこと)
      願意成就・武運長久
     磐裂神(いわさくのかみ)
      天下泰平・風雨順次・五穀豊穣
     根裂神(ねさくのかみ)
      国家安全・武運長久・五穀成就

例祭日 11月12日

創立  建久7年9月(1196年)





由緒沿革
 創祠は後鳥羽天皇の御宇建久7年(1196年)9月と伝えられている。常陸の守護八田知家の三男知基が、茂木に桔梗城を建築する際、城の丑寅の方角に鎮座する荒橿神社を鬼門除けの神としたが、末申の方角には裏鬼門除けの神が鎮座しなかったため、代々八田家が崇敬し、武門の神として由緒深き近津神社を勧請したと伝えられている。従って当社本宮は茨城県大子町下野宮にあり、日本武尊によって創建されたと伝えられ、八幡太郎義家も奥州征伐の折に戦勝祈願し、八田家代々の祈願社でもあった。また江戸時代にはこの社を水戸光圀も御神威に感じ、上野宮・中野宮をも勧請創祠している。現在も社頭には茨城県天然記念物第一号樹齢千二百年の鉾杉が聳えたっている。
 故事には天正15年(1587年)9月、益子重綱・結城晴朝両軍が茂木に押し寄せた際、当社より白羽の矢が飛びこれを拝した茂木勢は神の守護を信じ敵を敗退させたと云われる。このように江戸時代には、細川家の篤い庇護を受け、茂木城下の守護神、ひいては武門の神として崇敬され、参拝者は遠くは茨城方面からも訪れた。
 明治14年(1891年)9月27日拝殿が新たに造営されるが、明治26年(1903年)12月26日拝殿が焼失し、明治29年(1906年)再建された。平成12年本殿・拝殿の老朽化著しく新たに再建され、同地区氏神とされる星宮神社(下記参照)を合祀される。社務所は平成14年(2002年)に改修された。
 現在は膂力秀でた武門の神なるがゆえに、五穀豊穣・商売繁昌・交通安全・家内安全・学業成就などの神として篤い崇敬を受け、近郷近在老若男女の参拝者が絶えない。



 




星宮神社 ほしのみやじんじゃ

由緒沿革
 創立年代は不詳とされる。
 旧社域が狭謚して社殿が荒廃したため、領主篤信より2反5畝26歩が寄進され、元禄元年(1697年)6月28日に社殿を建立し、覚成院第一六世法印が導師となり遷宮祭を行ったといわれる。古くは星宮大権現といわれ、本地を虚空蔵菩薩と称した。また13歳の男女の厄除け神として特殊な信仰が篤い神社であった。明治26年(1893年)3月、火事の災難に遭い、社殿が全焼してしまう。明治28年(1895年)旧3月10日、無事再建におよぶ。
 平成12年老朽化も著しく、同地区近津神社の新築にあたり、合祀された。